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感情が無く、表現できなくなる理由

不安を感じる脳が強く、確かさを求め、必死に正しいことや真実を考える人の傾向。

今現在、目の前で起きていることについて感情が小さく揺れると、まず先に「思考する」。

どう行動するのが正しいか考えているうちに、自分の感情がわからなくなる。

 

適当になることが大事。すべてに確かさを求めない。

過去も未来も頭の中のどうでもいいこと。

目の前で起きていることに小さく揺れる感情を注意深く感じればいい。

 

誕生日を祝ってもらって、行動不能

誕生日を祝ってもらえて嬉しいはずなのにどうして良いかわからない。笑顔にならない。

嬉しいと言うのが正しいのか、笑顔で喜ぶのが正しいのか、どんなふうに喜んだら相手が喜ぶか。そんなふうに考え続けて、いつの間にか自分がどんな感情なのかわからなくなる。

感情がわからないから、正しい行動もわからない。

そういう状態に陥ることはよくある。

 

感情の揺れは基本小さすぎてよくわからないレベル

自分もこの傾向あるのでよくわかります。

どう感じてるのか確かめる前に、どう感じるのが正しいか考え込んでしまう。

 

相手が喜んだり反応することについては、すごく刺激が強いので嬉しいと感じるんです。

だから、自分がどう感じるか、というよりも、相手がどうしたら喜ぶかってことにすぐシフトしてしまう。

 

それは間違いで、誕生日の例で言えば「あなたを喜ばせたい」というみんなの気持ちがある。

その時自分がやるべきことは「嬉しい」という感情を自分の中にしっかり感じることなんですな。

 

で、これがとんでもなく小さい。。。感じるように、よーく確かめないと見逃すレベル。

感じたことが過去になっていく、つまり自分の人生になっていくわけだけど、それを他人に譲ることがいい人みたいな感覚。

やっぱまちがってるよね。自分の人生に優しくならないと。他人もそれを望んでる。それを交換していくのが良い人間関係だとも思う。

 

真面目に考えすぎる人ほど、行動に移すのは難しい

感情の揺れは小さいので、真面目に考えているとすぐ揺れがなくなってしまいます。

適当な人は、(お、これは嬉しいかも)って思ったところで、「うわー、まじか!まじか!ありがとう!!」って言えます。

不安を感じやすい人は、どれくらい嬉しいか、相手はどんな行動が喜ぶか、あぁどうしようどうしようと考えているうちに、タイミングがなくなって何も行動せずに終わるという悲しいことになります。

 

しかも現実に起こっていることは実は「良いこと」ばっかりなんですよ。信じられないかもしれないけど。

なのに正しさを求めるあまり、他の可能性を羅列する。必然的に良い現実への「否定」になる。

 

卒業式で泣いている人を見て「本当に悲しくて泣いてるんだろうか」とか。

飲み会で盛り上がってる人を見て「無理に盛り上げようとしてるんじゃないか」とか。

そんなこと考えるから、逆に自分の行動を制限してしまう。

 

すべてのことに確かさを求めるな

いつも不安だから、なんでもしっかり把握してから進みたい。

自分はどう感じているのか、相手はどう思っているのか、真実は?本当は?本心は?

確かめようもないことにすら、確かさを求める。

どうにか確かさを見つけるために、ずーっと考え込む。

 

漫画とかアニメとかの世界に妙に憧れすぎる人が多いのはそのせいだろうと思う。

漫画とかアニメだったら人が作った、感情まで確かな世界を見られるから。

登場人物の気持ちがわかって、しかもそれを理解しているキャラがいて。俯瞰している自分は確かな人間関係を羨ましく思う。

現実には「確かな人間関係」ってありえないんですけどね。

 

適当に、今現在起きていることを感じる

誰かが泣いた時、誰かが笑った時、誕生日を祝ってくれた時、卒業式で泣いている人を見た時。

適当に、表面に出たきたことを、黙ってそういうことにしてみる。

泣いた=悲しんでいる。笑った=楽しんでいる。

信じるとかじゃない。確かなことは望まない。あくまで適当にそういうことにしておく。

そして自分がどう感じているのか、小さく揺れる感情を見逃さない。

 

悩む時間、不安に思う時間、その時間が人生になってしまってる

嫌な時間ですよ。悩むとか不安に思う時間て。

頭の中でもやもや考えている時間、その考えている時間が過去になり、人生になってるって考えると恐ろしくないですか。

考えている時間が、そのまま人生ですよ。

 

悩んで考えすぎたら、いっぱい考えた人生。何も残らない。

不安で考えすぎたら、いっぱい考えた人生。何も残らない。

現在を感じることでしか、楽しいとか、悲しいとか、感情を確かめることはできない。

 

人生は今現在で作るべきだとおもうわけです。

 

感情への刺激の大きさに負けない

なんでそんなことになるかというと、感情の揺れそのものを人間は欲しているからなんですね。

楽しい、嬉しいだけじゃなくて、怖い、悲しい、辛いっていう嫌な感情でも人間は欲するもんなんです。

頭の中で考えるのは不安や悩みからくらい辛いって感情で、しかも結構刺激が強い。刺激が強いから中毒に陥る。

不安と悩みに時間を使う中毒。

 

今現在から受け取る、楽しい、嬉しいって感情は基本とても小さい。たまにでかいのがくるけど、頻度が少ない。

それにくらべて不安と悩みに時間を使ってると、結構大きい揺れが常時くる。

 

極論いえば、欲してるんだからどっちでも良いんだけど、嫌なら変えようとすれば変わる。

考えない。過去も未来も。今現在起きていることから楽しい嬉しいを抽出する練習をする。

ちょっとずつ日記に書いてみたりする。忘れないように。

 

頑張って適当になる

例えば音楽聞いて「良いな」って思う。

次に「良いなとは思うけど、聞いたことがある感じ」とか言う。

さらに「良い感じだけど、○○に似ていてすきになれない」なんて言い出す。

最終的に「○○のパクリじゃん。嫌いだわ」とか。

 

考えるということは、確かめる、正しさを求める、不安定な部分を安定させる行為。…のはずなのに、基本的に良いことばっかり起きる世界においては否定になってばかり。

簡単にいえば、考えすぎることは否定することになりやすい。だから考えれば考えるほど、嫌なことばっかりだ。となる。考えること=嫌なことだから。

それでも気づかない限り、考える中毒は収まらない。

適当に、目の前に起きていることをさっと感じて、考えなければ、良いことがたくさん起きている。

 

「嬉しい」「楽しい」「良いな」って一瞬思ったことを確かめようとする行為はそれを否定する行為でしかない。

自分がどう感じたか。一瞬のそれしか確かじゃない。

はじめに一瞬感じたことそれ以外に確かなことはない。ほかの可能性なんて考える時間があったら、次に行けばいい。

 

頑張って、適当にならないとできないことだ。

 

人生も夢も目標も、その意味を考えちゃだめ。

全部、そのままで良いモノだから、裏側に確かさを求めて可能性を考えたら出て来るのは否定的な言葉。

しかもそれは確かじゃない。

適当になるしか、方法はないのだ。

 

まとめ

現実の表面を五感で適当に抱きしめて、次にいけ!

 

 

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